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山形県 朝日川支流 大留沢 涸沢


 2000.07.20〜22

 岩田会長、奥田秀朗、中村敏之、高野智









Text:高野 智 Photo :中村 敏之、高野 智 

 朝日川は名前のとおり朝日連峰を源として、最上川に注ぐ流程25kmほどの渓で ある。大朝日岳から流れ出す朝日俣沢と朝日鉱泉のところで出合うヌルマタ沢との二 つの渓からなっている。ヌルマタ沢は上流で大留沢と涸沢の2つの流れに分かれるの だが、今回我々が入るのは、この大留沢と涸沢である。会長の話によると車止めから テン場までは約1時間。二俣にはブナに囲まれた素敵なテン場があるという。
 「歩きが1時間なら楽勝、楽勝!」と何でもかんでもザックに詰め込み、重さは優 に20kgを越えている。「まぁ、ダイジだろぉ」と完璧にナメてかかっている我々 であった。

 今回のメンバーは、還暦を過ぎても元気な岩田会長、今年入会してテント泊りは初めての奥田氏、私とは長い付き合いの中村氏、そして私、高野の4名である。
 出発は午前6時。なんでこんな時間なのかというと、「あそこは2泊3日で釣るほど大きな渓じゃないよ」との会長の一言でゆっくりとした出発時間となったのである。

 通いなれた東北道を福島飯坂ICで降り、栗子トンネルを抜けた車は順調に車止めへと向かっていた。空はカラリと晴れ渡り、山釣りには絶好の天気である。我々の心がウキウキと弾んでいたのは言うまでもない。

 朝日鉱泉の看板を目印にハンドルを切ると道は徐々に細くなり、やがてダートへとかわる。車止めはもうすぐである。だが、車止めよりも手前だというのに、道の両側には沢山の車が止めてある。ゆっくりと車が進んでいった先に我々が見たものは、なんと「ここより通行止め」の看板! 「なんでだよぉ、地元の警察にまで確認とって通れるって言ってたじゃん」
 文句を言っても始まらない。道がないものはしかたがない。ここから朝日鉱泉までは約2km、30分ほどと書いてある。まあ、1時間の歩きが1時間半になったって楽勝だぜと、車を止めザックを引っ張り出し準備を始めた。

秘密兵器登場!

 「会長! アブ! アブがいますよぉ」
「何々、早速、秘密兵器でも出しますか」と会長の引っ張り出したのは黄色い缶の殺虫剤。その名も「アブハチジェット!」 皆さん、凄く効きそうな名前でしょ? 説明書きによると射程は何と7m! 7mも飛べば憎たらしいアブなんてバシバシ落ちる。
「この吸血鬼どもめっ! これでも食らえ。ブシュー、ブシュー!」
「あれ? 会長全然死なないじゃないですかぁ」 射程7m? 3mも飛んでないじゃん。
「何これ、全然ダメじゃんよぉ」
確かにアブは逃げていくのだが、ちっとも落ちないのである。ハッキリ言って期待外れの「アブハチジェット」であった。

 がっかり?した我々であったが、ザックを担いで歩き出した。それにしても重たい。ナメてかかった今回は、デジタルビデオをはじめ、フライパン、ブルーシート、さらにはドバ50匹が入った飼育ケース(スズムシなんかが入って売っているあれである)等、何でも持ってきている。中村氏などは「背負ったとたんに、シューズのフェルトが沈んだぜ」と言っている。そんななか会長だけは重たい共同装備は一切無し。我々3人の半分位の重さしかないザックを背負い、元気いっぱいである。あげくの果てにはスキップまでする始末。3人のひんしゅくを買っていたのは言うまでもない。
「もう一緒に行ってあげないからね、フンッだ」

 道が崩れて工事中の足場の板を渡り、林道はブナの木陰の中を進んで行く。頬を撫でる風は涼しくて、とっても快適である。だが、快適なのはほんのわずかな間だけであった。
 ブナの森を抜けるとカンカン照りの日差しが全身を貫いていく。流れる汗は体中から滴り落ち、歩いた後の路面には汗の跡が出来るのではと思うくらい。ハッキリ言ってバテてきたのである。さらに喉が渇くのでガブ飲みするお茶が余計に疲れを呼ぶ。
 元気なのは荷の軽い会長と山歩きに慣れている奥田氏の2人。私と中村氏は朝日鉱泉を過ぎた辺りでバテバテであった。
 それでもどうにか渓への下降点に辿り着いた。あとは踏み後を下るだけである。もうちょっとで渓に着くとなると不思議と元気が出てくる。ズルズルと滑る急斜面を100m以上下降して二俣のテン場に到着した。

 二俣には千葉から来たというお二人の先客がいた。「どんな人たちだろう? カレー舐めジジイ(注)みたいな人だったらどうしよう」とか思ったのだが、もう全然そんなことはなく、とっても感じの良いお二人であった。
(注)カレー舐めジジイとは川上顧問が山小屋で会ったという、怪人?のこと

 さて、早速テントやタープを張り終えた我々は、いそいそと竿を持って大留沢に入っていった。渓は流木が引っかかっており、随分と荒れた感じである。ここか、ここか? と餌を流すのだが、いっこうにアタリが無い。20分ほどでやめてしまった。

 「んじゃ、飯でも作りますかねぇ。」と焚き火を起こし、飯盒で飯を炊き、フライパンで酢豚を作る。渓でなぜに酢豚?と言う方もいらっしゃるだろうが、これも楽しみの一つ。渓で食べるものは何でも美味いのだが、家で食べても美味い酢豚は、さらに美味い。重たい思いをしてフライパン等を持ってきた苦労も吹き飛んでしまう。

 焚き火を囲んで仲間と語り合う夜は最高だ。日常の喧騒やストレスから逃れ、心がリフレッシュされる。テン場がブナに囲まれた場所なら、その効果は数倍である。

 素晴らしい渓での夜を満喫した私は、明日に備えてテントに潜り込んだ。昼間の疲労で心地よい眠りに直ぐに引き込まれていくはずだったのだが・・・。
「ううっ、なんか腹が痛くなってきた・・・。昼間お茶をガブガブ飲んだのがいけなかったかな。でも、こんな夜中に森の中でキヂ打ちしたくないなぁ」
だが我慢も限界! ヘッドランプを付けてテントを飛び出したのであった。

「ふ〜、ホッとした〜」とテントに戻ってくると、なにやら騒がしい。まだ焚き火の前で呑んでいた奥田氏と千葉のお二人が騒いでいる。
「高野さ〜ん、脅かさないでよ。人魂かと思ったじゃん」

 そう、この渓は会長が遭難しかかってビバークしたときに、夜中に対岸をフワフワと漂う二つの光を見たという場所なのである。「あれは、人魂だよ。間違いないよ」という話を聞いていた奥田氏が勘違いしたのも無理はなかった。
(「思い出の渓々 雨中行軍の記」参照のこと)

 翌朝、早起きした我々だが、何と会長は調子が悪いからテン場に残ると言い出した。珍しいこともあるもんである。何が起きても釣りだけはする会長が残るだなんて。
「これは、もしかして秘密の沢でも知ってるのか」と疑った私だが、会長を残して出発することにした。今日は奥田氏と千葉のお二人が大留沢に、私と中村氏が涸沢に入ることとなった。

テン場から30分ほどの所で一つ目の
支流が出合う
そこに掛かっていた見事な滝

 会長の見送りを受けた我々2人は涸沢を遡行していく。水量はまずまずだが、少し水温が高い気がする。
 会長の話だと、下の方は人が良く入っているから、ガッコ沢までは竿を出さずに歩いたほうが良いとのこと。
 20分ほど歩いたところで右岸から小さな沢が出合ってきた。ここは水量が少なくちょっと奥に見事な直爆の滝が掛かっていた。

ガッコ沢で出た7寸イワナ

 涸沢は小さな落ち込みと瀬が交互に現れ、徐々に高度を稼いでいく。やがて右岸から結構水量のある沢が入っているところに行き着いた。これがガッコ沢だろうか?この沢の水量ならば魚もいるだろうと、試しに中村氏が竿を出してみる。まずはお約束の一つ目の落ち込みである。左岸に立った中村氏、ドバを付けた仕掛けを振り込んだ。一投目は変化なし。筋を替えてのニ投目、目印が止まった! 一瞬待ってアワセをくれると美しい7寸ほどの岩魚が踊った。

 その先はどうかと私も竿を出したがアタリは無い。奥に行けばきっと釣れるだろうと思ったのだが、結構流木等もあり釣り辛そうである。せっかくここまできたんだから本流を釣らないともったいない。支流は時間があったら帰りにでもやろうと先を急ぐ我々であった。

 ガッコ沢を過ぎてもなお、最近入ったような足跡が砂地に残っている。まだ竿を出すには早すぎると、もうしばらく歩いた。この辺りは、それほど落ち込みがなく平らな渓相である。

因縁のマス止の滝

マス止の滝
名前からして昔はここまでサクラマスが遡って
きたのだろうか

 やがていくつかの落ち込みが現れ、渓相も良くなってきたので竿を出すことにした。すでに日は高く昇り流れる渓はキラキラとダイヤモンドの輝きを放っている。水は透き通り口に含むとほんのりと甘い。源流では流れる水すべてがミネラルウォーター。見上げればブナの巨木が心地よい木陰を渓に投げかけている。

 小さな落ち込みで目印が止まり、ククッ、ククッというアタリが伝わってくる。抜き上げれば腹の黄色が鮮やかな岩魚が踊る。美しいブナの森が育んだ岩魚たち。人間の手が一切加わっていない原始の森。太古の昔から生き物たちの営みが続いている。

 そんな渓の自然を楽しみながら、我々はゆっくりと釣り上がって行った。

 やがて目の前に大きな釜を持つマス止の滝が現れた。滝自体はたいした高さではないが、収束から解き放たれた流れは崖にぶつかり、ゆっくりと渦を巻いている。
「これがナベちゃんと会長の因縁の滝か・・・」
実は以前、会長と事務局長のナベちゃんが、この渓に入ったときに
「ナベちゃん、この滝は大物がいるよ。ナベちゃんやっていいよ。」
「そうですか。じゃあ、手前からいかせてもらいます。」と言って手前の番兵から釣り上げようとしているナベちゃんを横目に、会長はいきなり一等地に餌を入れて、尺岩魚を横取りしてしまったという滝なのである。

 今回は中村氏が釜の流れ出しから、私が落ち込みを攻める。だが、デカオモリを使って探ったが大物は留守のようであった。

良型岩魚が踊る

 ここは諦めてさらに上流を目指す。渓にはいくつかの小滝が掛かり、それを巻きながら進むが、なかなか大物は姿をあらわさない。
 先行する中村氏を追いかけながら、ちょっとしたポイントにも竿を出しながら進んで行くと、瀬の中に一抱えくらいの岩が入り、その下がえぐれて格好の住処になっていそうな場所を見つけた。
 私は大きめのドバを付けると流れの筋に投げ入れた。すると目印が止まりゴツゴツという岩魚独特の引きが伝わってくる。一呼吸おいてアワせるとグングンという引きが竿を絞る。
「おお、これは今までにない引き。結構デカイぞ。」流れの底に大きな魚体がきらめいた。
 タイミングを計って抜き上げると結構な大きさである。
「もしかして尺物か?」と早速メジャーを当てるが、28cmだった。
 最近小物しか釣ってないので、やたら大きく見えただけなのである。

カラ沢には小さいながらも
いくつもの滝が掛かっている
今釣行最大の28cmの岩魚

 その後も7寸くらいの岩魚を何尾か釣りながら登っていくと、5mの滝に出会った。ここの釜もいいのが入っているかもと、ビデオを構えて中村氏に釣ってもらう。
 だが残念ながら、ここでも留守のようであった。せっかく釣り上げるところをビデオに収めようと思ったのだが・・・。

 そろそろ腹が減ったと中村氏が訴えるので、滝を登った木陰で昼食とする。焚き火を起こし、釣った岩魚を枝で作った串に刺し塩焼きにした。その間にラーメンを作って食べる。何も入ってないラーメンなのに、渓で食べるとなんで美味いのだろう。岩魚も家で食べるよりも数倍美味い。美しい自然が隠し味になっているのは疑いようがないのである。

 昼飯を食べ終わったところで、時間は12時過ぎであった。テン場に戻るのは4時の約束なので、ぎりぎり2時までが釣りの出来る時間だろう。コッヘルなどを詰めて再び渓を歩き始める。

 2人は数尾の岩魚をビクに納めながら遡行を続ける。右手から滝となって小さな支流が出合ってきた少し上流で時間切れとなってしまった。これより奥を探るには二俣にテン場ったのでは無理のようだ。水温が高めなので、おそらく岩魚は上流に遡ってしまったのではないだろうか。

7寸の雌岩魚 すらりとした美しい姿
納竿場所より上流(左)と下流を望む ブナに囲まれた素晴らしい渓だった

 我々2人はタバコに火をつけ腰をおろした。空を見上げると抜けるような青空が広がり、ブナの葉が強い日差しを受けて光輝いている。岩魚は入れ食いではなかったけれど、十分遊ぶことができた。そろそろ引き返すとしよう。

 来るときはガッコ沢まで1時間くらい、その後数時間釣りあがっているから、帰りは2時間強は掛かると思われた。2人はきらめく水面を蹴り上げながら早いペースで渓を下る。
 やがて昼飯を食べたところの下流に掛かっている滝に着いた。中村氏が先頭で右岸を下る。見ると中村氏は慎重に足場を探している。
 私も中村氏に続く。
「お、あそこは滑りそうなところだな。気をつけていかないと。」そんなことを思いながら、ゆっくりを足を掛けた。そのとたん、ズズッ、ズリッ! ドッボ〜ン!!
 見事に滝壷に落っこちてしまった。5mほどの滝とはいえ、滝の真下は結構深い。いきなりのことで結構焦って泳ぐ。それを見ていた中村氏、 「ハハハッ、顔が引きつってるぜ」
言われて気がつくと、確かに顔が引きつっている。自分で気がついて笑いが出てきた。全身ずぶ濡れで滝壷から上がり慌てて荷物を調べる。幸いしっかりとパッキングして いたのでビデオカメラとデジカメは無事だった。体は濡れても問題ないが電子機器は濡れたらオシャカ。無事を確認してホッとした。
 中村氏曰く「目の隅でやたら早く動くのが見えたと思ったら、落っこちてるんだもん」そりゃそうだ、ゆっくりだったら落ちる間になんとかするわい。

 やはり1日歩いて結構疲れているようだ。その後もふらつきながらも4時半頃にテン場に辿り着いた。

 テン場に着いてから思ったのだが、なんで今日はこんなに疲れているのだろう。途中キツイ高巻きがあるでもなし、きわどいヘツリがあるでもなし、ましてや膨大な水量と格闘した訳でもない。なんてことはない渓を快適に遡行しただけなのである。
 やはり、この渓には何かがあるのだろうか。人間には感じることの出来なくなった何か。人間も太古の昔は感じることが出来たのかもしれない何か。文明が発達し便利になったのと引き換えに、人は優れた能力のいくつかを失ってしまったのであろう。
 昨年6月、渡辺副会長が一人でこの渓を遡行したとき、何かの気配を感じた気がしたという。それが山の神なのか渓の精霊なのかは分らない。気のせいだったのかもしれない。しかし、一人で渓を歩いていると、誰かに呼ばれたような気がするときもある。多分、渓のせせらぎがそう聞こえただけなのであろうが・・・。
 この一見何でもない渓で多くの方が亡くなられているという事実。おそらく増水して無理な渡渉の際に流されてしまったのだろうが、それにしても腑に落ちない。ほんとうは人には感じられない何かがあるのかもしれない。
(釣行記「朝日川奇談」参照のこと)

テン場でくつろぐ奥田氏(左)と中村氏
テン場での至福のひととき
左下に見える黄色い缶が問題のアブハチジェット
千葉のお二人 I さん(左)と O さん
たいへんお世話になりました
また、どこかの渓でお会いしましょう
ブナに囲まれたテン場に岩魚を焼く炎が揺らめく

 まあ、無事にテン場に着いたのだから、そんなことは忘れて最後の夜を楽しく過ごそう。
 別の大留沢組はどうしたかというと、出発して15分くらいで大きなスノーブリッジに行く手を阻まれ、高巻きを余儀なくされたらいいが、7〜8寸の良型岩魚を各人数尾キープ出来たようだ。
 テン場に残った会長はというと、二俣の少し下流から釣り上がり、涸沢までで良型を2尾キープ。ほんの1時間位の釣りだというから、さすがである。それぞれキープした岩魚は焚き火でじっくりと焼き枯らしにすることにした。

 日も暮れて原始の闇に包まれたテン場に、岩魚を焼く焚き火が赤々と燃え上がる。それぞれが思い思いの場所に腰を下ろし、今までに行った渓の思い出話を肴に遅くまで渓の夜を満喫したのだった。

テン場付近の涸沢(左俣) 大留沢(右俣)

 渓での3日間はあっという間に終わってしまった気がする。今日は住処に戻る日である。まだ1日留まるという千葉のお二人に別れを告げ、テン場を片付け深々とブナたちに一礼をして林道までの急登に取り付く。
 出発直前にシトシトと雨が降り出し、ブナの梢がしっとりとした艶を見せている。ズルズルと滑る急登を15分かけて登り林道に出てホッと一息。あとは車まで下るだけである。
  我々4人はそれぞれの思い出をザックに詰めて、小雨の降る林道を下って行った。

ん、イワナ不在?
たしかに多くはないけれど・・・
林道への急登を終えた直後の中村氏
帰りは余裕か?
   

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