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 朝日川奇談

 
山形県最上川水系朝日川
 
釣行者:岩田会長、渡辺副会長、永田氏、瀬谷氏、田辺氏
 
釣行日:1999年6月12日


Text:渡辺 健三 

1年ぶりの渓へ

 ここ数日、梅雨入りしたとは思えない快晴が続き、気温も30度を上回る日が続いた。明るくなるのも早い、朝4時にはすでにさわやかにピンク色の雲を山の稜線に装わかせている。ここ朝日川に一年ぶりにやってきた。本流筋に入る田辺、瀬谷、永田氏らと別れ、下流から釣り上がるという岩田会長とともに山道を登ってきた。

 岩田会長から教わった仙道は意外とすぐに見つかった。30分もかからず目印の枯れ木3本と回り込む目印の大木も見つかったので、そこを回り込んで急勾配の仙道を快調に降り始めた。しばらく経つと道が左右に別れる所に出た。右側の道が意外とはっきりとしているので、これを選んで降りることにした。これが後の大きな災難のプロローグとなるとはつゆ知らず、人が通らなくなったのか道がはっきりしなくなったな、とそれほど重大には考えず山道より高低差250m程有る沢まで道無き所を滑り落ちるように降りていった。

 降りるとすぐに沢は左右に分かれる。天気は穏やかに晴れ渡り、風もなく、水温は適当に低めではあるが、水量が少なめなので遡行は楽であった。一人での入渓ではあるが快適な釣行に期待がふくらんだ。

 すぐには言われたとおり竿はださず、遡行に専念することにした。険しいゴルジュもなく、渡渉にも流れはそれほどきついところも無く、自由に渡ることができた。つまり珍しいほど楽で快適な遡行なのであった。

 適当なところから竿をだすことにした。すぐに美形の岩魚が掛かり始め、狙ったところのかけあがりからは思ったとおり尺を超える登り岩魚がとびだした。鰭はすれてぼろぼろで、きつい遡上を経てきたのだろうスリムな魚体をみせてくれた。また驚くほどすべてのポイントからは確実に型の揃った8寸、9寸が掛かった。尺上が2匹、泣き尺が1匹。それ以外はリリースできず止む無く確保した7寸2匹を含め、魚篭に収めた16匹すべて型ぞろいであった。

 魚篭も一杯になり、持参したドバミミズもとうに使い切り、ぶどう虫の二匹掛けで釣っていたが、いいかげんこの贅沢な釣りにも厭きが来ていたので、そろそろポイントに竿をいれるのをやめにした。また昼食にもいい時間になったので、休憩をいれようと遡上止めの滝までやってきた。ここにも無数の岩魚達が泳いでいた。昼食をとりながら、遡上止めの滝を岩魚がジャンプしながら、必死に越えようとするのを見物していた。これほどの岩魚達を身近において見ることはなかったな、と無心に眺めていた。

 しばらく経ってから「帰りに時間がかかる、仙道を登るのに途中2、3回休まなければ上れない。」岩田会長の言葉が頭に浮かんだ。「そうだ、もう十分すぎるほど楽しんだのだから帰ろう」と答える自分の声が聞こえた。それとともに型がいいのを言い訳に手当たり次第に魚篭に収めたここまでの無慈悲な釣りに、釣りすぎたという罪悪感のような後ろめたい気持ちが次第に心に湧き上がってきた。

山の神々たち

 そのときから不思議な気配を感じはじめてきた。無慈悲な殺戮を咎める意識が自分の背後に迫ってくるような、からっと晴れ上がった谷あいに、奇妙な悪意が充満してくるような気がした。

 異様を感じて、遡上止めの滝の大岩をよじ登った。はるか上流を眺めると、100〜150M先にこちらを凝視している動物の気配がする。私も感じる方向をじっと凝視した。カモシカだろうと思ったが、やけに目だけが大きく見える。

 私がその時率直に感じたのは、インドネシアのバリダンスに出てくる目玉の飛び出た悪霊、精霊の姿だった。なぜその時そう感じたのかは今でも分からないが、私はその姿に山神を思った。誰でも深山幽谷にはいると異様な気配を感じる。話し声がする、後ろから何かが、誰かが付いて来ると、魑魅魍魎の類は昼でも夜でもそこら一帯に跋扈しているのを感じるものだ。私は山に神が棲むとしたならば、容姿は決して思っているような美しいものではなく、異形と思える姿、山姥や鬼などの姿が真実の山神の姿なのかもしれない、と思う。荒ぶる神、柔和な神、は神域に侵入するものに見せる山神の二つの側面、侵入者自身が如何に無力で小さなものであるかを気づかせるのに充分すぎる力を持ち、気まぐれにどのようなめにも合わせることが出来る、それは、自分が無慈悲にあたかも絶対者の如く、山に棲むものにとった残酷な行為の反映以上に、彼の存在は、いかようにも私を残酷な目に合わせるパワーのある、理不尽な存在であるということを、強烈に否応無く私自身の脳髄に染み込ませたきた。曖昧ではあるがその時そのように感じた気がする。

 各地の山に山神の社や祠があるのは、あながち私と同じような気持ち(霊気?)に打たれたか、またそれとともに悲惨な事故を経験した方が、畏怖の念とともに鎮魂のため、決して神学的な合理性をもつ存在を敬愛して作ったというよりも、今後山にては常に謙虚な気持ちを持ち続けます、という誓いとともに祈りを込めて建立したのかもしれない。

 (以前、岩田会長が遭難したのは、二又のもう一本の沢だった。会長が寒さに震えながら夜半に大きな火のような灯かりを目撃し、懐中電灯にて合図をしたが何の返答もなかった沢である。その灯かりの動きは同時に、並んでひょいひょいと動いていたが、こちらが合図を送るとピタっと止まったとのこと、私の目撃したものと同じだったかもしれない、と思ったが安全を見守ってくれていたと感じたそうだから、優しい存在として現れてくれたのだろうと思う、しかしここでは釣りだけではなく山菜取りの方も十何人お亡くなりになっているとのこと、亡くなられた方が山神となられたか、山神が引きずり込むのかわからないが、無残なはなしである)

杣道を探して

 じゃまになる小物はすべてザックに詰め、釣り上げた岩魚は魚篭ごとザックに縛りつけた。これで動きの邪魔になるものはなし、さあ帰ろう、と帰りかけたところ?????“竿がない”!!!!!!、しばらく探したが見つからない、時間はどんどん過ぎあきらめるしかなくなってきた。「竿は置いていけということか、」ため息を吐きながら歩き始めた。

 途中、来た時にはなかった足跡を見つけ“会長が入ってきたのかな”と思い気配を探したが全く見つからなかった。おおよそ2時ごろと記憶している。後に会長と話したところ、その時間なら二又のところで私を待っていた、とのこと。また私によく似た仙台から来た釣り人と釣果の話や、沢を渓道楽の会員が先に入渓していることなどを話していたとのこと、しかし私はその後から入渓した仙台の方とも、会長とも会ってはいなかったのである。ここでどちらかと会っていれば、これから起きることもなく快適な釣行として終わっていたはずであった。

 私はすでに降りる道を見失って沢に降りてきていたのだった。それは私自身分かっていたので、まず降りたあたりから登り始めた。70〜80mぐらい登ったが、げげ、登れない。手がかりも無く草付きの水を含んだ泥はすぐに崩れ、降りるしかなかった。降り道を間違えたことは納得していたので、正しい道を探そうと下流に移動した。これが大きな錯覚だった。反対側に渡渉し上り口を探した。すると人の登った跡のように見える、草も無く足で踏み固めたように段々ができているところを見つけた。ここを登るか、もし間違えていたとしても右にトラバースすれば必ず仙道にぶつかるはずだ、と登り始めた。100〜150M登るともう手がかりは無くなりザックの重さに耐えかねて、不用意に足を踏み出すと一気に10Mほど滑り落ちる。必死に途中の枝にしがみつき下まで落下するのを止める。渓流シューズは泥では全くふんばりがきかない。落ちては上りを繰り返し、斜面に足場は作れず、留まれない状態だった。潅木をみつけながら腕のみで体を確保し、太い枝をみつけては、そこに登り休息をとった。両足は加重な運動に耐え切れなくなり、痙攣を始め悲鳴をあげている。ザックに縛り付け た16匹の岩魚の重みは、私を引きずり落とそうとするかのように襲ってくる。ザックは破れ使い物にならなくなり、何度となくザックとともにおいていこうという誘惑にかられた、道を見つけてから取りに帰ればいいではないかと。気を抜くと危ないと必死に自分にはなしかける、必ず道に行き着く、このぐらいなんでもないだろうと。右にトラバースできないか、できない、オーバーハングしているうえ細い潅木しか生えていない、無理だ。上に登るしかないのか、足は効かないから腕で登るしかない、時間はどんどん過ぎてゆく、もう3時40分を過ぎた。暗くなったら最悪だ、その前に登るか沢に降りてビバークするか決めなくては危険だ。しかしもうずいぶん登ってきたので降りるのも危険になってきた。行動食を無理に喉に詰め込もうとするが、飲み込めない。ジュースで流し込んだ。食糧は4食分有る、コンロもあるし、最悪沢に降りて二又でビバークすれば明日には誰か来てくれるだろう、と思うといくらか気も落ち着いてきた。よし後10M直登してみよう、いくらか回復した体に鞭打ち登り始めた。また枝を掴み体を引き上げ引上げを繰り返すと、突然開けた仙道が目の前に現れた。助かった 、と思った瞬間両足は痙攣で全く動かなくなりその場に倒れ込んだ。しばらく休み、また行動食をとり、残りのジュースで流し込んだ。

 朝日鉱泉にたどり着いたのが4時40分、約束の時間より40分遅れ皆さんに大いに心配をかけたことを悔やんだことは言うまでもないが、あの山中に2時間余り悪戦苦闘したのは何の因果かと今でも不思議に思う。


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