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  岩田会長奮戦記

   岩手県 和賀川支流


   1999.07.16〜18


Text  :渡辺 健三 

 当会の会員は岩田会長を崇拝すること父母の如く、会長なくして当会の存在は有り得ないので ありますが、創立者でもあり、また齢六十をまさに越えんとする会長は(今はもう超えてしまいました)、当会のシンボルでもあり、唯一の独裁者でもあります。また彼の習得している釣技は 他を圧倒し、皆の憧れの的となっているわけです。この様な訳で、会長の釣行のときは常に彼の左右前後に誰かが付き、安全を図ると共に少しでもその技術を習得できないものかと、目を皿のようにして一挙手一投足を見守っているわけですが、前回、この川にきた時は田辺事務局長が報告したとおり、会長の左右には、水戸の御老公に影のように寄り添う助さん、角さんよろしく、田辺事務局長と私(渡辺)がお側について会長の暴走を阻止していたのでした。その結果は局長の釣行記をご覧頂ければ状況ご納得頂けるのでしょうが、あえて重複するのを承知で少々前ぶりとしてお話し申し上げます。

  あれは今年の6月6日、所は同じく和賀川支流、うす曇りの中、会長の釣れるか釣れないか半信半疑のご決定の下、当支流にやってきた我ら3人は、車止めよりすぐ渓におり釣り始めました。 しばらくは意に反してハヤばかり釣れる流れに、“だめか”、と意気消沈しておりました。会長は釣ったハヤを私に投げつけて憂さ晴らしをする始末。本来の悪童ぶりを発揮して大人しい私に 意地悪をするのでした。

 そうこうしてしばらく釣り上がっていきますと、だんだん岩魚が掛かるようになってきました。こうなりますと他の誰よりも先に竿を出したい会長、我ら2人より先をすすむこと200m余り、 良い思いをという魂胆見え見えで先行していかれました。我らもそこそこの型をいくつか釣りながら先を行く会長を見やると、何やら不穏な雰囲気が会長の回りにただよい、我らの到着を待っている様子、急ぎ局長とともに追いつくべく、釣りを中止し向いました。以下その時の会長と我らとのやり取りを忠実に再現します。

 竿持つ手も震え、口元もおぼつかなくわなわなと、
 “ばらしちゃったんだよ”(会長)
 “なにを”(局長)
 “でかいんだよ”(会長)
 “また夢でも見たんじゃないの”(局長) 局長はあくまで冷静で冷たく言い放つ。
 “そうじゃないんだよ、ちゃんと見えたんだよ、ギラっと魚体が反転するのが見えて、糸を切っていっちゃったんだよ。でかかったんだよ。”(会長)
 興奮さめやらぬ様子ですがるようなまなざしを局長に向けるのでした。しかし、局長はつめたく、
 “そう、じゃ竿だしてもいい?”(局長) とっさのことで会長は嫌ともいえず、
 “いいよ” (会長)

 彼の興奮さめやらぬ不安定な精神状態に追い討ちをかけるかのような、局長の強引な横取りします、ともとれる申し入れに会長の目は焦点定まらず上に下に、右や左に泳ぎっぱなし。
 私もこの時こそ、“漁夫の利”を、とばかりに1号通しに仕掛けを替え、ドバミミズも特大を餌箱より引き抜き、鉤にかけようとするのだが会長の興奮が伝染している上、局長より先にという思いが強すぎ、ドバにも興奮が伝わったか暴れるのを押さえつければ、まるでどじょうすくい。 すでに局長に先を越され竿を出されてしまいました。
 私が竿を出す間もなく局長にはすでにぐんぐんと竿を絞る強い当たりがきた。タモを出す手もおぼつかなく、必死に取り込むと、これがなんと35cmの大物岩魚。口の端からは会長の先程切ったばかりの糸をぶら下げておりました。
 私もおめでとうともいえず、会長の方を見やると、情けなさそうに負けイヌの薄笑いを浮かべて魚を確認し、心中察して余りある複雑至極の悲哀を残して上流へと向っていきました。私は局 長に
 “まずいんじゃない、会長えらいショック受けてるよ、立ち直れないよ。”
 “いいんだよ、いつも横取りするのは会長のほうなんだから”
 いつものご老体に対する尊敬も謙譲の美徳もなにもあったもんではない、あっけらかんとした 局長でした。

 その後の私も良くなかった。こういう駆け上がりの渕にはまだいるもんだよね、とせっかく仕掛けも替えて、ドバも大きいのを付けたのだからと竿を振込みますと、私にも強い当たり。ぐぐ っと引き込むのを強引に岸に引き抜くとこれが32cmのまたまた大物。いつの間にかはるか先を行く会長に局長が大声で怒鳴る。
 “会長、会長、まだいるよ、尺だよ尺、会長” 先を行く会長はこちらを振り向きもせずに、一人男の哀愁を漂わせた背中を私達に向けるのみでした。
 実は会長を打ちのめし、止めを刺す出来事は更に先にあり、私が起こしたのでした。

 会長に追いつくべく局長とともに急ぎ向い、今度は会長にも大きいのがきますよ、 とかなんとか調子良く3人仲良く釣り始めますと、局長はいままで魚をかけすぎたために、しばらくすると餌切れをおこし、岸にあがって休んでおりました。そして私達の釣りを見てました。天運というものはあるもので、私が一足会長より早く竿を入れたぶっつけの渕からまたまた私に強い当たり。 私は誰に言うとでもなく、“でかいよ、でかいよ”と叫んでおりますと、岸におりました局長がすかさず、上流へと何とか鉤をはずそうと暴れる岩魚にタモをもって向ってくれたのでした。

 無事取り込みも終わり計測すると、これがなんと先程の大物35cmを1cm超える36cm。
 もう会長の私共を看る目には、いつもの温厚な面影は消え去り、何時にもました凄みのある薄笑いを浮かべて私を看るのでした。しかし会長の名誉のためにも申し上げたいのですが、このあと会長は、我ら2人が尺上2本をあげたため、自分も尺をとのノルマを自らに課し、無事尺2本を上げられたのでした。

 この様な事があった後、7月12日夜、瀬谷氏よりけたたましい電話が掛かってきました。先週仕事でどこへも行けず、また前回の和賀川釣行にも参加できず、行った者皆が尺岩魚を2本づつ釣るという、10年〜20年に一度という快挙に参加できず、自分が釣るべき35CM、36 CMを私や田辺氏に釣られたという怨念のこもった電話でした。とにかく必ず行くよ、と確約をして電話を切ったのでした。
 翌日、渓道楽作戦本部“かじか”のミーティングルームにて和賀川再挑戦の会議を行なっていたところ、岩田会長より突然“私も連れていって”とのお言葉が発せられた。前回の尺2本が忘れられないのか、それともとてつもない大物でもあげようというのか、また御乱行が行われるのでは、と各自の胸に一抹の不安が走ったのは言うまでもないことでありましたが、あえて阻止する理由もなく瀬谷氏を側近としてつけることで御前会議は決し、9日の夜を待つこととなりました。

 当日、梅雨時とは思えない強烈な日差しが降り注ぐ、暑い日でした。岩田会長自ら瀬谷氏を彼の懇願する前回合計尺6本の沢にお連れし、永田氏と私は別の沢を調査探釣に出発致しました。 私たちが入渓したところは、川は大きいのだが梅雨時にもかかわらず水量がいまいちで、本流でも枝沢でも小物ばかりが掛かる期待を裏切る沢でした。本来の目的が調査ですので釣れないというのも一つの結果です。草々に引上げ会長達をお迎えに参上いたすことにしました。というのは 会長は予定時間より早く切り上げ戻っていることが多いのでお待たせするのは恐れ多いと早早に出発したのでした。
 待ち合わせの場所に着きましたが瀬谷氏も会長もまだ来ていないので、永田氏は車の中で一寝入りするという、私は<テンカラでも振って来るわい>、と竿をもって川に降りたのでした。2、 3回振っていると下流からひょこひょこと瀬谷氏があがってくるではありませんか。一抹の不安を覚えた私はすぐに、瀬谷氏に事情を尋ねることに致しました。瀬谷氏曰く“会長と一緒に上流に上がって行ったのだが、会長が小沢に入りたい、沢は狭いので二人では無理だ、君はどうする、 尺が上がったのは本流だよ、どっち行ってもいいんだよ、とどうしても私を傍から離したい気持ちがみえみえだったので、しょうがなく本流を釣っていたのだがハヤばかりだった、”とのこと。 私の不安は更に高まるのでした。

 しばらくすると、かすかな熊除けの鈴の音。すわ会長の御帰還と一同鈴の音の方を凝視すると、 タマネギ袋をゆらゆら揺らせ、傍らには別の大袋。瀬谷氏曰く“何かぶら下げてますね”私曰く “また山菜でも取ってきたのだろう”。近づくにつれ会長の満面笑みをたたえた顔がはっきりして来た。
 タマネギ袋には泣き尺を頭にうじゃうじゃ、圧巻なのはもう一つの大袋、大岩魚が窮屈そうにしているではないか。会長曰く“途中で雪渓があったから雪を詰めてきたよ、見て見て37cmあるよ、健さんに現認してもらわなくちゃ、”憎い言葉がでるものだ、私は現認されるほうで、現認する方ではないのに。まして前回の私の36cmを1cm上回るお魚さんを現認しろとは、なんというご無体。

 翌日は余裕の温泉三昧、瀬谷氏、永田氏が汗だくで調査探釣を行なっているのに、温泉に浸りながら私と会長はビールを呑みリラックス、私は会長の何時までも現役でご活躍されるのを心よりうれしく思っているのですが、渓流釣りクラブ全国にあまたあるとはいえ、なんといってもかの瀬畑翁より年上という御仁は希有のものなので、大事にして頂きたいと常々気にかけております。そこでこの御仁を国宝ものとなす事を全国の渓流人に呼びかけ、渓で見かけた時にはおでこの一つも磨き上げ、柏手を打ち、五体投地、三顧の礼をとり、三拝九拝の上、お賽銭のいくらかでも持たせていただきたいものと、あまた綺羅星の如くいられる全国の署先輩方にお願い申し上げ、決して石など投げつけないで、と心底崇拝いたしておるのですが、とうの御仁は灯台下暗し、片目つぶって自らの姿を鏡に映し、年も半分、血圧も半分と妙な理屈で納得 し渓に出かけていくのを見るにつけては、いつかは神罰が落ちるものと恐れおののいているのは 回りの我らのみとはあまりに情けなく、腹にもつ密かなリベンジの誓いは笑顔に隠し、新たなファイトにアルコールを注ぎ燃え立たせながら、会長がいつまでもお元気で、と盃を交わす笑顔の引きつること、ビールの泡で隠しながらの乾杯でした。


平成11年7月22日
渡辺 健三 


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