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 埼玉県 荒川源流入川
  2008/08/15〜16


  荻野親子、原親子、高野親子





Text&Photo: 高野

自分たちの少年時代、子供は全員「探検家」だった。毎日いろんなところを探検して遊んだものだ。
工場裏の狭いドブの水路や、カブトムシを捕りに入った雑木林。近所の広場に積んである土管の山。公園だって今みたいに綺麗に整備されてなくて、隅のほうに行くと藪があったりして薄暗く、冒険心を満たしてくれた。
ところで今の子供はどうなのだろう。私も3人の子供の親だが、子供たちは外で遊ぶことはとても少なく、どちらかというと家の中でゲームをやっている時間のほうが圧倒的に長い。
昔に比べると何かと物騒な世の中になったからというのも理由の一つだし、探検や冒険をゲームで疑似体験できてしまうからでもあるだろう。だが、ゲームは小さな画面の中の世界であって、本物の探検でも冒険でもないのだ。
そこで私は息子を探検に連れ出すことにした。幸い同じようなことを考えている仲間もいる。私の源流釣り仲間の荻野さんや原君だ。彼らも息子を連れて、山に入って探検するのが好きなのだ。

今回の探検場所は埼玉県奥秩父。埼玉を流れる大河荒川の源流部、入川と呼ばれる渓である。そこに1泊野宿して、岩魚を釣ったり川遊びをしたりしようというのである。
ここであえて野宿という言葉を使ったのは、野宿とキャンプは違うからだ。キャンプは泊まる場所が整備されたキャンプ場であったり、きちんとテントを建てて、その中に寝るものであると我々は定義している。それに対して野宿はテント無し、山の中でゴロ寝である。一応タープと呼ぶ天幕は張るが、あとは下に敷くシートだけで、寝袋に入って寝るのだ。野宿という言葉は探検と同義語だろう。
荻野さん曰く、「小学生でキャンプしてるのは大勢いるけど、野宿してるのはお前たちくらいだぞ。」 

そう、お前たちは普通の小学生じゃ体験できないことをしてるんだ。


じりじりと肌を焦がすような日差し降る8月のお盆休み。我々は入川の林道ゲート前に集まった。私の息子ショウヘイは小2、原君の息子イサキも同じ。そして荻野さんところのユージローは小6だ。
子供3人はそれぞれザックを背負い、一丁前の格好をしている。ここから泊まり場までは1時間くらいの歩き。そこで荷物を降ろしてさらに奥へと探検に出かけるつもりである。

舞台となるここ入川は、非常に古い歴史のあるところである。戦国時代から関東と信州とを結ぶルートにもなっていたし、大正時代には森林軌道が敷かれて、木材の切り出しも行われていた。森林軌道は昭和40年代まで使われていて、なんとそのレールが未だに残っているのだ。
今回歩くルートはまさにその軌道跡であり、それがずっと奥まで続いている。今回の探検はその軌道跡を辿る旅でもあるのだ。

最奥にある夕暮キャンプ場に車を止め、そこからは徒歩で行く。渓流釣り場を左手に見ながら進むと、道はやがて林道から左へと折れて、細い道となる。ここはもう軌道時代の線路跡そのものなのだ。
それが証拠に、やがて地面からレールが顔を出す。2本のヘロヘロと波打つレールは、まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。
道は入川を左手に見ながら崖際を進んでいく。この軌道は崖をえぐって軌道敷を確保し、昭和初期に大変な思いをして作り上げていったものだ。軌道の右側は見上げるような高さまで崖が立ち上がり、左は入川の水面まで20mくらいある。そんな場所を崖に沿ってクネクネと進む。

寄り道しながら行く、小2の二人
友達がいれば退屈しなくてすむのだ


岩からは冷たい湧き水が滴り落ちていた























 かつての森林軌道を行く
 この軌道が現役だったころ、ここ奥秩父は
 まだ秘境と呼ぶのがふさわしい場所だった。
 そのころは小学2年生が遊びに来られる
 場所じゃなかっただろう。

子供たちは普段と違う環境に嬉々として歩き続けた。2時間ほど歩いただろうか、やがて泊まり場とする広場が眼下に見えてきた。
森林軌道最盛期には、ここに飯場があったようだ。対岸の石垣や、広場に組まれた石積みの跡などが華やかなりし頃を想像させる。多くの森人たちが、街に残してきた家族を思いながら暮らしていたのだろう。
我々はここに天幕を張り、ブルーシートを敷いて一夜の宿を完成させた。木と木の間に細いザイルを張り、それに天幕を掛け、四隅を引っ張るだけ。これだけでも雨をしのげる快適な寝ぐらとなる。

さて、一休みしたら上流の探検へと出発だ。必要最低限の荷物だけ持ち、身軽になって歩き出す。
この先も同じような軌道跡が続く。最初の目的地は支流赤沢谷の出合だ。赤沢谷は左岸から流れ込む支流で、沢登りのルートとしても有名だ。
取水堰堤を過ぎると軌道跡は荒れだした。かなり上からの土砂崩れで、軌道は埋没しているところもあった。それでも赤沢谷までは比較的訪れる人もいて、釣り人やハイキングの何人かとすれ違う。
やがて何段もの石積みがなされた場所を過ぎると、赤沢谷出合いに到着した。ここ赤沢谷出合いには森林軌道の説明板が立ち、荒川源流の碑もある。また森林軌道本線の終点でもあった場所で、赤沢谷に掛かっていた橋の跡や、一段高いところには索道のウインチ台の跡もある。軌道最盛期には、切り出した木材を積み込むために多くの人が働いていたところだ。

一般のハイカーはここで引き返すが、我々はさらに上部を目指す。実はこの赤沢谷上部には別の人力森林軌道が敷かれていた。もう何年も前、入川の奥に岩魚釣りに入るためにこの山道を通った際、九十九折れの急登後に再びレールが現れて驚いた。気になって後で調べると、赤沢谷の支流、モミ谷出合いまでの1.2kmに渡って軌道が敷かれていたのだ。
そこは空のトロッコを引き上げるのに機関車を使わず、人力で押し上げていたというのだから驚いてしまう。そして木材を満載したトロッコは坂道を惰性で下ってきたのである。

今回はその軌道跡を歩いて奥に入り、子供たちに幻の秩父岩魚を釣らせようと思っている。
岩魚は川ごとに体の模様などが大きく異なる。ここ秩父の荒川源流に生息する岩魚は、体側に赤い斑点があり、腹やヒレも赤みを帯びた独特の岩魚なのだ。その岩魚も今では他の水域からのいいかげんな放流によって混血が進み、数が減ってほとんど見られなくなってしまったらしい。私はその幻の秩父岩魚をぜひ見てみたかったし、息子にも見せてあげたかった。

赤沢谷に掛かる吊橋を渡り、九十九折れの急登を上りきると、道は再び平らになる。赤沢谷の右岸上部に付けられた道を歩き出すと、枕木やレールといった森林軌道の痕跡が現れた。沢にはコケむし朽ち果てた木橋も掛かり、廃止された後に何十年もの時が流れたことを実感させられる。
赤沢谷出合いまで訪れる小学生はいるが、赤沢谷の奥へと入っていく小学生はショウヘイたちが最初だろう。
我々はどんどん奥へと進み、何十メートルもあった道と川との高さが、やがてなくなる地点で河原に降り立った。






























 赤沢谷までは平坦な道だったが、
 そこから道は急激に高度を上げる























赤沢谷は立派な釣り橋で越える。
下を流れる赤沢谷に釣り人の姿が。
チタケを採るショウヘイ
チタケは栃木県人の大好物だ


疲れた顔のショウヘイ
ここまでずいぶん歩いたからな


ここまでひたすら歩くだけで、いいかげん飽きてきた子供たち。ようやく岩魚釣りができると大喜びだ。しかし、果たして岩魚は釣れるだろうか。そして幻の秩父岩魚はここにもいるだろうか。

竿を伸ばしてエサを付け、そーっとポイントへ近づく。キラキラと輝く赤沢谷の清冽な流れが岩の間を縫って流れ落ちる場所へ、エサを入れて静かにアタリを待った。やがて竿を持つ手にブルブルと手ごたえが伝わってきた。
「来た!」軽くアワセをくれて鉤を食い込ませて、竿をショウヘイの手に渡す。「竿がブルブル震えてるだろ? 岩魚が掛かってるぞ」彼は初めての体験に目が輝いている。
「よし、上げろ!」ショウヘイに手を貸して一気に竿を上げると、美しい岩魚が宙を舞う。
そんなに大きな岩魚ではないが、ショウヘイにとっては、とても大きな1尾となるだろう。
そして、すぐ上のポイントに竿を出したイサキにも岩魚が掛かり、歓声が上がった。
子供たちに岩魚を釣らせるという目的は達成された。しかし、残念ながら釣れたのは赤い秩父岩魚ではなかった。こんな山奥にも無差別放流の被害が出ていたのだ。

ショウヘイの足回りは「わらじ」
子供サイズのウェーディングシューズなど無いし、成長してすぐに履けなくなってしまうのに1万円も出してられない。
その点、わらじはコストパフォーマンスが高い。ただし濡れて水を吸うとかなり重くなるのが欠点だ。


























 初めて手にした源流イワナ
 これで彼は釣り好きになった
原親子も真剣に竿を出す
イサキは親に似てすごい体力だ

我々は軌道跡に這い上がり、さらに上流に向かおうかと思ったのだが、ここから先は大きく崩壊していて子供には無理そうだった。もう目的は達成されたのだから引き返そう。
ショウヘイは崩れた軌道跡で足を滑らせてビビっている。それを撮影していた荻野さんに「写真なんて撮ってる場合じゃないよ!」と怒っていた。もちろんザイルで繋いでるから絶対に落ちたりしないのだが、怖いのは当然だ。だが、これも探検の一つのプロセスだ。自分で経験させて危ないことを知るのは大切なこと。やる前から「危ないからダメ」と大人が止めてしまうのはどうかと思う。

さて、ビビりながらも泊まり場に戻った子供たち。今度は目の前の渓流で水遊び。思う存分ずぶ濡れになって遊んでいた。住んでる街の川は汚くて、とてもじゃないが遊べない。でも、ここの水はそのまま飲めるほどの清らかさだ。
やがて日が傾き、子供たちが楽しみにしていた焚き火が始まる。いつの時代の子供だって焚き火は大好きなのだ。もちろん大人だって焚き火の炎を見てるだけで癒される。
焚き火が燃え上がると、子供たちは火をつついて遊んでいる。やがてご飯が炊き上がると美味しそうな香りが漂ってきた。晩飯はみんなで焚き火を囲んで食べる。石器時代のような風景がここにあった。

泊まり場に戻って大人はマッタリ、子供は沢遊び
素晴らしいひととき


今晩の薪を調達
渓には流木がたくさんあって、薪には事欠かない
それを、のこぎりで使いやすい長さに切りそろえる

























 ショウヘイの釣った岩魚を焚き火で焼く
 彼の心に、いい思い出として
 残ってくれればと思う

やがて辺りは闇に包まれ、空の月と焚き火以外に灯りは無し。木々の間に明るい満月が顔をのぞかせる。街に暮らしていると満月の夜がとんでもなく明るいことには気がつかない。
そして聞こえてくるのは鹿の鳴き声や流れの音だけ。心地よい自然の音しか聞こえない。
今夜はそんな自然に抱かれて、みんなでゴロ寝だ。
昼間の疲れから、子供たちはすぐに寝てしまった。大人たちもやがて酔っ払って撃沈。入川の源流に静かな闇の世界が戻ってきた。


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