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岩手県 胆沢川支流

2004.7.18〜19


渓道楽 : 中村、荻野、高野
フリー : 清水、千葉



Text  : 高野 智
Photo :
 高野 中村 荻野

 岩手県の奥羽山脈、栗駒国定公園にある焼石岳を中心とする峰々から流れ出す胆沢川。
 下流域には胆沢川が悠久の時をへて作り出した胆沢平野が広がっている。胆沢平野は日本における最大級の扇状地となっていて、広大な水田地帯が広がっている。このように今では豊かな胆沢平野であるが、これは先人たちが過酷な自然の力と戦って築き上げた、たまものである。

 そんな胆沢川水系の支流に遊ぶため、遥々埼玉県からやってきたのであるが、ここに辿り着くまでは紆余曲折があった。
 今回のメンバーは渓道楽から中村(ナカナカ)、荻野、私(高野)、荻野さんの友人清水さん、そして岩手在住の千葉さんの5名である。5人とも超人的な体力があるわけでもなく、目も眩むような岩場を平然と登ってしまう技術もない。どちらかというと、釣果にこだわるよりも焚き火を囲んでの宴会や、豊かなブナの森を眺めながら楽しく遡行するのが好きなメンバーであり、とっても気の会う仲間たちなのであった。

 源流釣行においては1ヶ月以上前から計画を練ってから実行に移すというパターンが多いのだが、心配なのは天気であるのは、どんな釣り師においても同じであろう。ましてや梅雨という時期であり、雨が降る確立はとても高い。今回も釣行直前に「新潟、福島豪雨」により、新潟県の河川が氾濫し、甚大な被害が発生していた。そういう状況なので、当然新潟県と県境を接する山形県も雨量が多いのは仕方がない。最初の計画では山形県の荒川源流より山越えで末沢川に入る予定だったのだが、現地に近づくにつれて濁流と化した荒川の姿を見るにつけ、末沢川は皆の頭からは消えていた。かわりに登山道を通って行ける角楢小屋で、のんびりしようという楽チンコースが頭に浮かんでいたのである。しかし、この軟弱プランは車止めに向かう林道に乗り入れたとたんに打ち砕かれた。なんと林道が冠水して通行止めになっていたのだ。まさか車止めに辿り着けないなどという事態になるとは思いもしなかった。ここでこの状況ではこの付近の朝日連峰の渓はどこも同じであろう。6時間も掛けてやってきた我々は意気消沈してしまった。

川からは結構離れているのに
道路には土砂が溢れ出していた
この看板を見たときは我が目を疑った 川幅一杯に濁流が流れる
自然の猛威には成すすべがない

 そうは言っても、ここまで来てすごすごとは帰れない。家族に無理を言って(有無を言わさずか?)2日間の自由を手に入れたり、仕事をどうにかやりくりして集まった5人である。このまま帰ってまた来週てなことは有り得ないのだ。
 とにかくここに居ても始まらない。米沢まで戻って別の渓へ行くことにして、再びハンドルを握った。

12時間の運転の末、ようやく車止めに辿り着いた

 という訳で岩手県の胆沢川の車止めに辿り着いたのは午前10時を回った頃であった。かれこれ12時間も車に乗りっぱなしだった訳で、さいたま市からやってきたナカナカと私は疲労困ぱい。ナカナカのインプレッサは足回りを固めているため高速道路では最高の走りをするのだが、ちょっと荒れた国道を走ろうものなら、ゴンゴンと路面から突き上げをくらい、知らず知らずのうちに疲れてしまうのである。
 車止めに着いたところで「もうここでいいよ。ここに泊まるべぇ」と半分本心からそういう言葉が出てきた。
 本来ならゲストという立場だった岩手在住の千葉さん。行き先変更で地元の渓となってしまい、ホストに格上げ?である。実直な人柄の千葉さんから、「せっかく来たんだからブナの森で遊びましょうよ」と嬉しい言葉を掛けてもらい、その気遣いに答えるべく準備を始めた。車止めで泊まるなら岩手じゃなくてもできる。せっかく来たのになんてもったいないことを言うんだと反省する。
 幸いこちらは雨も降っておらず、真夏の日差しにも似た光が満ち溢れている。山道はいきなりの急登となり汗が噴出し、なまった体には相当堪える。やはり清らかな流れの傍を歩くほうがずっと気持ちがいい。

ナカナカ 千葉さん 清水さん 荻野さん

 途中、いきなり前方で「ガサガサ」と大きな動物が音を立てた。荻野さんの身のこなしは素早く、すぐ後ろを歩いていた私を押しのけ逃げる体勢をとっている。どうやら熊の昼寝の邪魔をしてしまったらしい。鉢合わせしなかったのが幸いだった。

 やがて道は沢に突き当たり、ようやく流れに足を浸し一息つく。ここからは水とともに行くことになる。滝を巻き、増水した流れに足を取られながらも、どうにかテン場に辿り着くことができた。

 テン場は5人が寝るにはちょっと狭い感じだったが、豊かなブナに囲まれ最高の雰囲気だ。早速フライシートを張り、ブルーシートを広げて寝場所の確保。その後は薪を集めて宴会の準備は整った。みんな疲れているが、テキパキと仕事をこなし、快適なテン場があっという間にできあがっていた。

 さて日暮れまでにはまだ時間がある。となればやることは一つである。それほど釣りに執着心はないが、一応釣り師の端くれ。おのおの竿を手に上流、下流、支流へと散っていく。
 私は支流に入ってみた。少し増水気味だが、ポイントに竿を入れていくと、岩魚の小気味良い引きが帰ってくる。残念ながら良型は出なかったが、塩焼きサイズを1尾キープしテン場に戻った。

銀色に輝く魚体
黄色い腹は居付きの証 清冽な流れとブナの森

 テン場に戻ると荻野さんが蕎麦を打っていた。ようやく念願の源流蕎麦が食える。ここまで重たい蕎麦打ち道具を担ぎ上げてきた荻野さんに感謝である。もちろん荻野さんの打った蕎麦は素晴らしく美味かった。
 焚き火を囲んでの仲間との楽しいひととき、これが私が山釣りをやめられない最大の理由である。

源流で蕎麦を打つ
この上ない贅沢

 日が沈み、渓が漆黒の闇に飲み込まれる。有史以前から続くこの豊かなブナの森に、今居る人間は我々5人だけである。他には人工的なものは一切なく、原始の空気が山を支配している。その世界で小さく燃える焚き火の炎。ふと森を見渡すと、小さな光の点が一つ、また一つと舞っていた。蛍だ! 都会では絶えて久しい小さな命が、ここには生きていた。蛍を見るのは人生2度目だろうか。以前、埼玉県の東松山で蛍の乱舞を見たことがある。あれはもう20年以上前のことだ。まさかここで蛍に出会えるとは思わなかった。小さな命は光を瞬かせながらフワフワと優雅に漆黒の世界を舞い踊っていた。

 雨にも降られず、暑くも寒くもない快適な夜が白々と明け、原始の世界に光が満ちてきた。ゴソゴソと起き出すと荻野さんと千葉さんはすでに働いていた。シュラフから上半身を出し煙草に火をつける。都会のうだるような暑さの中では、こんな清々しい気持ちにはとてもなれない。夜になっても気温は下がらず、蒸し暑い熱帯夜に苦しむ毎日。果たしてそんな生活が快適なのだろうか? 確かにどんな物でも手に入る便利な生活だが、物があれば幸せというのは何か違うと思う。それに気が付かない人の何と多いことか。他人よりいい生活がしたい=他人より金持ちになりたいという短絡的な思考が蔓延したこの世の中。いつからこんなことになってしまったのだろうか。
 ここにいるとそんなことが幸せなのではないとハッキリと分かってくる。

 話が関係ない方向に行ってしまった。今日はそんな世界に帰る日であるが、車止めまではこの世界を楽しもう。



千葉さんがテン場前で良型を掛ける

 朝飯を食べてテン場を綺麗に片付けたら出発である。デカイ荷物を肩に背負い、竿を片手に遡行する。昨日よりも減水した流れからは、美しい岩魚がポンポンと飛び出してくる。打率8割以上! エサを入れれば必ずといっていいほど釣れる。清水さんはドライフライでの釣り、荻野さんはテンカラ、千葉さんはオモリなしのエサ釣り、そして私はデカオモリを付けたエサ釣りである。ナカナカは今日はいっさい竿を出さず、かわりにカメラを構えている。
 それにしてもドライフライでの釣りはスリリングだ。毛鉤が着水してゆっくりと流れていると、いきなりゴポッと岩魚が食いついてくる。エサ釣りと全く違った楽しさがそこにはあった。


悠久の時を越えて聳え立つブナの巨木

 荒川で通行止めを食らったときはどうなることかと思ったが、こんなに素晴らしい渓で遊ぶことができた。これも案内してくれた千葉さんのおかげである。そして、素晴らしい仲間たちと、最後まで降らずにいてくれた天にも感謝したい。

支流のナメ滝を登るナカナカ
新しい愛機 Nikon D70 渓には無数の赤トンボが飛んでいた
渓道楽写真部の機材たち
左からNikon D70、Canon EOS 10D、Canon EOS Kiss Digital

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