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丹沢山行記

2003.11.22〜23

中村、紺野、伊藤







Text & Photo : 伊藤 智博

 今回は、「中村、紺野、伊藤」のデコボコトリオで百名山の丹沢山に山行した。
 計画では幻の大滝から稜線に出る予定だったが、登りはじめすぐに出会った登山者にそのルートを話すと、「めったに聞かないルートだからやめた方がいいのでは」そう言われる。源流で遊ぶ私達はよく「止めといたほうが‥」という事を言われるのは慣れっこだが、今回は「お助け紐」1本すら持っていない事もあり、大滝の上で断念引き返し、ルートを変更するとなれば、すでに午前11時、日没までに予約していた山小屋(尊仏山荘)に到着は不可能と思われ、丹沢観光センターからの登山道からのアッタックを決定した。
 登山道の入口には、「崩落地有り、遭難者〜、一般登山者進入禁止」などと看板が立てられていた。最初のうちはハッキリとした踏み跡だったが、途中から分かりにくく、3人でバラけて探す事もしばしば。登山道というよりも、山菜道という感じで、夏期にこのルートでは何箇所かはヤブ漕ぎになると思われた。とにかく上へ上へひたすらひたすら登る、約2時間はずーっと登り。丹沢の核心部ここにあり!っといった感じであった。久しぶりのアタックということもあり、息切れとめまいを感じたが、紺野君がすぐ後ろから涼しい顔をしてついて来るので、写真を撮ると言いつつ休憩を数回。余談になるが、中村さんは、人一倍の水を飲む。腹がポコポコしないのであろうか。いつもながら不思議に思う。

 そんなことで、「本間ノ頭」に到着した。中村さんは最近購入したデジカメ一眼レフで晩秋の丹沢を撮影し、紺野君は相変わらず無言のまま頂上を見つめ、私は、密かにチョコレートを口に含みながら筋肉の硬直をほぐした。ここから丹沢山頂へは、尾根沿ルートである。所々には下草の笹を鹿が採食しないようにと金網がされており、考えさせられる一幕もあった。何箇所かアップダウンを繰り返すが、普段履いてるウエーディングシューズとは違い、登山靴なので、無理なふんばりを入れることなくスムーズに通過が出来た。中村さんと紺野君も絶好調らしく、「幻の大滝」からのルートを探しながら山頂を目指した。

 さすがは11月末である、朝から曇りであるため、歩いている時は熱いが、休憩をしていると風が冷たく、1枚服を着込んだりと体温調整をこまめに行う。出発してから約4時間経ち、午後3時となった。他の登山者とは3人すれちがうのみ。中村さんが山小屋に予約をした際、満員で混雑と言われたらしいが、これから登って来るのであろうか。3人とも体が慣れてきたのか、快調に距離をかせいだ。
 しばらく歩くと山頂に到着する。山頂は当初私がイメージしていたものより、かなりかけ離れており、近所にあった原っぱのようである。少年たちがサッカーをしてても違和感がない広場であった。ザックを下ろし、3人で記念撮影。騒ぎながら撮影をしていたのが気になったのか、「みやま山荘」よりサンダル履きの男性が自前のカメラ持参で近づき、自分も写真を撮ってくれと頼のんできた。山頂より宿泊する尊仏山荘のある塔ノ岳までは約50分、なだらかな整備のされた尾根道で、初めて気付くが眺めがとても素晴らしい。体力トレーニングを目的にと丹沢アタックに参加した私であったが、登山の楽しみ方の1つが分かった気がした。目の前の塔ノ岳山頂に尊仏山荘が見えてくる。
 あたりが薄暗くなってきたので、小走りで山荘へ向かうと、大勢の登山客が受付をするので並んでいる。どうやら私達は最終組のようだ。私の経験では、宿泊=沢のテン場=誰もいない=貸切状態=どんちゃん騒ぎ=いつのまにかシュラフが定番であり、同じようにこの状況を驚いた2人は無言のまま、お互い顔を見合わせた。山頂の山荘である為、水がなく、顔も洗えず手もグローブ臭い。おまけに布団は3枚を5人で共有するとの事。すごすぎる。万が一と用心し、シュラフを持参した紺野君と私は、ちょっぴり優越感。とりあえず夕食までと、一面に広がるザックの間で乾杯をした。夕食のカレーはなかなか美味しく、体も温まる。食後に夜景をと、ほろ酔いで外に出るとキンキンに冷え切っている外気で我に返る。夜景の美しさには言葉を失った。
 消灯時間の8時になったので、9枚の布団が敷き詰められ15人が寝る寝床に入る。疲れもさほど無かった為か2時間おき位に目を覚まし、いびきをかいている紺野君の体を揺らした。午前3時頃には完全に目が覚めてしまいこの状況をデジカメに収めたいというイタズラ心にかられる。枕元にはデジカメを置いていたので何回か手に取るが、さすがにシャッターは押せない。そんな事をすれば、「今時の若者は」とか「道徳を知らない世代」とか言われかねない。まず間違いなく15人の中で32歳の私が一番若い。2人が起きるまで我慢と目をつぶるが、寝返りもうてず、渓の流れの音がない空間はとても苦痛で、小学生時代に経験した進学塾の夏期講習以来であった。
 しばらくすると、あちこちから「はぁ〜、」とか「うぅ〜む」とか目覚めた声が聞こえだした。持参した携帯電話の着信音で「コケコッコー!」と鳴らしたらどうなる?などと考え、くだらなさに一人笑い。こういう自分が昔から好きだ。
 朝になり、おでんご飯を美味しく頂く。外に出るとワンゲルであろう男女数人の高校生が賑やかに話をしている。ザックはかなりでかく、60リッター近いのもある。全員が銀マットを装備しているので、どこかで野宿をしたのであろう。そんな所あるのだろうか?夜は想像を絶する寒さに違いない、濃いウイスキーでも‥の訳ないか。

 山荘に戻ると、他の宿泊客は次々と出発していく。時間は8時をちょい過ぎ。中村さんは寒い中、撮影に夢中。寒さに弱い私は、ストーブの番人状態で、紺野君にいたっては、右目が二重で左目は一重という寝起き状態。9時前に出発すれば、お昼過ぎには車止めに着くはずだと考えながらトイレに入り数分。うっ!危険だ、危険すぎる。決して建物の構造が危ないとか、汚いとかではないが、とにかく危険。使用した人なら必ず解るはずだが「匠の世界」。同じく危険を経験した中村さんとしばらく恐怖話に盛り上がったが、内容の記述はやめておこう。荷物をまとめると、「お世話になりましたー」と礼儀正しい紺野君の挨拶で出発をする。

 3人は清々しく尾根を歩いた。体調は良く、足は軽い。数人の先行者を追い越した途中、子供づれ(小学生低学年の兄弟だと思う)の登山者とすれ違う。挨拶をする少年の姿は堂々としており、小さな体に似合わない大きなザックが印象的であった。時より日が射し、陽だまりで一休み。あっという間に、一般ルートと丹沢観光センターへの分岐に着いた。昨日に残した踏み跡をたどるが、なるほど一般登山者進入禁止である、なんとなくの微妙な踏み跡が無数に、おそらく鹿が残したものだと思われる。所々にマークされる色テープで確認しつつ下降した。「バーン・バーン」と猟銃の音がすぐそこの麓からこだまする。この地域は安全と分かっていても不安に感じる。分岐点より車止めまではノンストップ。登山ルートには無かった杠葉も、車止め付近には残っており、最後のチャンスと中村さんが撮影をする。3人とも少々の物足りなさを感じたものの、無事に到着しホッとした。宮ヶ瀬湖沿いにある「玉肌の湯」で汗をながし、「元祖とんちき弁当」という店で、とんちき定食を食べる。自家栽培の野菜を贅沢に使用しており、めちゃくちゃ美味しい。いいペースで客も来店しており、人気があるようだ。帰りの運転を引き受けてくれた中村さんには申し訳ないが、ビールを飲んでいた私と紺野君に心地よい睡魔が訪れた。

 今回の山行を振り返り、改めて感じた事だが、山釣りという一つの趣味で知り合った仲間と、このような楽しい時間を共有できた私は恵まれていると思う。3人が30代のサラリーマン、毎日の仕事で蓄積されるストレスも、この楽しさを味わうスパイスなのか。


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