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バカ長を履いた達人

新潟県 A川
2000.06.02〜04

川上顧問(御大)、田辺哲(ナベさん)、渡辺健三


Text :渡辺健三
 

 いつのまにやら御大とナベさんの大事業に付き合わされるはめになってしまった。7月の石滝遠征には足慣らしに現場での実践が必要と思っていた私は、「今週一緒にいかない?」とのナベさんのお誘いに、二つ返事で「いいよ、行こう」と答えたのでした。すかさず、ナベさんは上目遣いで私を見ながら「御大と一緒なんだよね、岩魚の引越しに行くんだけれど、いいかな。」と妙に遠慮がちに言うのでした。日頃の鬼軍曹のしごきに、生死の境をさ迷っただの、肋骨折っただの、岩陰に隠れて泣きましただの、若手会員達の泣き言は耳にタコができるほど聞かされていたので、とうとう捕まってしまった、乗せられちゃったよ、と年貢の納め時に思案に暮れていましたが、まな板の岩魚ではなく鯉になった気分でつきあうことにしました。
 前日11時御大のご自宅にお迎えに向うはずが、10時には御大自ら“かじか”にいらしゃりお飲みになられているとのお電話。おそるおそる“かじか”に伺うと機嫌良く飲まれている。「健さん、体調はどう? 欲しいものがあったらすぐ出てくるからね。バナナが欲しい、と思ったら“ハイ”、ザイルが欲しい、“ハイ”スルスル、何でも思いのままだからね。安心してついて来てね。」と今回の御大はナベさんに言わせると妙にやさしいらしい。
 崩れて通れないはずの山道はきれいに整備され、トンネルの先の最終車止め迄行けた。御大はこれじゃ訓練にならないよ、健さん楽だよ、降りたらすぐ釣りだよ、と言われてもにわかには信じがたく、半信半疑で身支度を整え恐る恐る付いていく事になりました。
 20分も山道を歩くとすぐ沢への降り口がある。これがのっけからトラロープにぶら下がりながら、下降を繰り返すばかりの肝冷やし。
 沢に降りると「健さん、 竿だして、釣っていいよ。」おやおや本当にもう釣りが始まるのかよ、と呆気に取られて竿をだすも、ナベさんにも私にもアタリもなし。ここじゃだめだな、と山越えで源流を目指そうと思っているやにわに、上からスルスルとバカ長をはいた地元のおじさんらしき方が降りて来て我々とはちあわせをした。聞くと我々と同じ沢に入るという、御大がナシつけようとするもあれよあれよとトラロープをつたって登ってゆく。御大もおおあわてで「ナベさん、すぐ追いかけろ。」 命令一下、脱兎の如くナベさんが急斜面を駆け上がって行く。御大もその後を追いかけてゆく。残された私は一所懸命追いかけようとするするが、その距離は広がるばかり。そのうちどこをどう間違えたか本流に下る道を下ってしまった。しばらく行ってもどうも誰も通った形跡がない。「おかしい、ここじゃないのかな。」これはとりあえず上に上がり、道を確認できるところまで戻ったほうがいいな、と考え登りかえす事にした。
 しばらく待っていると、上から「おおーい、健さあーん。」御大の声
 私は「どこだーい、道がわからねーよ」
 御大「上だーい、上」
 何だぜんぜん道がわからねーよ、下に降りちゃったよ。
 皆下に行きたがるんだよね、ははは。
 呑気なもんでこちとら御大と一緒じゃ、何無理難題を言われるか分かったものじゃない、と内心気が気でないのに、そんな事はお構い成しで地元のばか長、体力スーパーおじさんの事ばかり心配している。「大変だ先に釣られたらいい釣りができねーよ。」先の釣りの心配よりも今の高巻きを心配してくれっテンだい、というのは私の内心の声。
 それでもなんとかナベさんに追いついた。本格源流は今年初めてのナベさんはふーふー言いながらも、すでにこのスーパーおじさんと話をつけていた。「たいしたもんだね、本当に感心したね、ナベさんはエライ、たいした体力だよ、しかしナベさんをふーふー言わせるこの方はどなたなんだろう。」と興味も湧いてきた。
 このスーパーおじさんの話を聞くと、「年に一度この沢に入るのを楽しみにしている、それが今日なのだ。しかし遠くから来たのだから釣っていけやー。」と意外と気さくでさっぱりしたいい人だった。ここから我々の後ろから付いて来てくれた。
 ナベさんは釣りもうまいね、魚が掛かると引き抜きが早い。瞬く間に3匹ほど釣り上げ、それでは私もと竿をだすが、どうにも後ろにいる御大が気に掛かる。「そんなとこにいねーよ、先だ先。」竿をあげようとするとつーつーとアタリ「ははー、魚掛かってますけども。」空中でぶらぶらする魚に御大は「ナベちゃん、魚篭、魚篭。」お引越し用に返しのないスレ針を使っているものだから魚が一寸ブルブルと暴れると、ポチャン「魚、ばれましたけども。」「健さんが遊んでるからにげられちゃたんだよー、なんだいアタリもわかんないのかよー。」まるで掛漫才。
 この後のバカ長姿のスーパーおじさんもすごかった。御大と差しで魚止めの滝は登るは、雪渓を越えて釣り登るは、さぞかし名のある御仁ではないかと思ったが、世に隠れた達人とはいるものだな、と多いに感心させられました。
 またまた皆さん行かれてしまった。私一人、右岸の少し高さの低い滝のある沢に入ろうと思っても滝は越えられず、御大より巻いていけば越えられるよ、とのお言葉を思い起こし左を大高巻きしたのだが崖はひどく屹立しており、降りられない。流れ落ちている小沢をみつけて沢ずたいに降りても最後は直角に落ち込んでおりどうしてもザイルなしでは降りられない。
 ザイルを取りにザックを置いておいたところに戻ると遠くから「健さあんー。」と呼ぶ声がしてナベさんが戻って来た。帰ってくるなり「あの人は人間じゃない」ふらふらになりながらつぶやく。「あれ、御大は?」「バカ長おじさんと一緒に行っちゃたよ。まあ昼飯でも食いながら待ちましょう。」と腹一杯になったところで、日当たりのいい場所で熟睡。
 御大御帰還するなり「テン場に行くぞ。」
 テン場は近い。 テン場でタープを使い露営地を設営し、号令一下まき拾い。絶妙の地形判断でたき火の場所を決めるとナベさんが御大直伝のたき火おこしに掛かる。いやいやもう芸術の域に達しているね。たき火がおきると共に煙の流れ方が川筋に沿って流れてゆき、決して我々の方には流れてこない。いや本当にいやみではなく教えられる事が多い。
 そのうち一人で右岸の渓に入られたスーパーおじさんも帰ってこられた。流石に疲労の色濃く会釈しただけで通り過ぎられたが、私にはすばらしい体力の持ち主に思えた。ここでじっと考えた。彼こそ山人ではないのか。いまでこそマタギといわれる人はいなくなったが、山や渓を生活の一部として暮らしている山人はいまでも普通に存在し、バカ長姿でも渓を自在に闊歩する事ができる人たち。彼らの普通の行動能力は私が必死になっても追いつけないほどなのである。彼らが特別の存在ではないと感じたとき私は自分の脆弱さを思った。それは体力のひ弱さよりもむしろ、自然を自分の内面と同化できず、身構えて対峙する精神の脆弱、気持ちの弱さを知り愕然たる思いがした。彼らは達人ではなく、通常の生活を営む山での生活者なのである。「そう思う」と御大も、岩魚は言うまでもなく山菜、きのこ、と大いに山の幸に相好を崩して喜ばれる。率直に楽しむことの偉大さをを思った。
 この日は家では家事一切したことのない、亭主関白?のナベさんが料理を作って食わしてくれる。嬉しいことで日頃見せてくれない彼のすばらしい一面を見た気がした。御大は岩魚の刺し身を食わしてやる、餌よこせ。と竿をもってサンダル履きでテン場の前のポイントに振込むとすぐに6寸程の岩魚が掛かる。それをもってナベさんの所に行くと、小さすぎて刺し身にならないよ。 御大に「シェフが小さいと文句言ってますよ。」と伝えると、それじゃその先のポイントにと竿を振込むと根がかりで万事休す。御大はテン場に戻り飲む事にしてしまいました。それじゃ私めが代わりにと、サンダルを履いて御大の指し示したポイントに何度か竿を振込むとぐぐーっと強い当たり、泣き尺程の岩魚が暴れるがここは逃がすマジ、と慎重に取り込み鼻高々でテン場にもちかえると、御両名やんやの喝采を私めにくれる。流石にこの時ばかりは、最近へこんだ腹も目一杯膨らませて殿様気分。ナベさんに刺し身にしてもらい、マーボ春雨、カレーと豪華な食事が並び、飲んではいけないお神酒もついつい進んでしまう。まさに至福の時で、渓の醍醐味ここに尽きると大いに楽しい時を過ごさせていただきましたが、寝る前のキツイ一発、持病の糖尿病の特効薬インシュリン注射も無事に済ませシュラフにもぐりこめば沢の音を子守り歌にして熟睡。御大の恐怖のイビキも沢の音と調和していまややさしいシンフォニー。渓の夜はふけてゆく〜〜〜。
 翌朝は一転して雨模様、これじゃ温泉行きだな、と思って荷造りに精を出していると、御大はナベさんに雪渓を越えてうじゃうじゃの魚止めまで行くぞ、と出動命令を下す。私にも滝まで釣らないかい、とお誘いになるのだが、私もはっとご両名の尊顔を拝しながら考えた(滝まで行くと雪渓の下にはもっとうじゃうじゃだよ、と説得されて連れて行かれる、雪渓までゆくと魚止めだともっと大きいのがいるよ、と強引にくたくたになるまでつれていかれる。ここはその手に乗らないようにガンとしてテン場の健を貫き通そう)、と固く決心したのでした。それを見てナベさんがぐずり始めた。ここは心を鬼にしてナベさんに「君はここに何しに来たのかね、連れていってもらいなさい、有り難く行きなさい。」とナベさんの行く末を御大に委ねたのでした。
 私が携帯用コンロで湯を沸かし、コーヒーを忘れたね、朝の一杯はうまいからね、とくに渓では格別なのに、と自らの不備を反省しながら白湯でおやつを食して、さてお土産に山菜でも取ってくるかと行きかけると、御両名お早い御帰還で、魚止めまで行かずに雪渓まででかえってきた、とのこと。もう早く里に降りてビールがのみたい、ウルイを取ってかえりましょう、となりました。
 里に降りてまず酒屋、このビールがうまい。
 そして以前瀬谷ちゃんが通路で裸になり不審がられた、という温泉に連れて行かれ、汗を流し、いざ蕎麦屋さんへ。うまい蕎麦を鱈腹頂き、帰還の途につくも途中糖尿に利く温泉があると寄り道をして温泉のはしご。
 いやいや御大は渓の楽しみを濃縮して楽しませてくれる。大変貴重でおもしろい釣行でした。また機会があったら連れていってください。感謝感謝。


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